シン・春夏冬広場

楽しいことになんでもやっていこうっておもってますぜ。

汚すという行為は未来への負債である

僕は片付けができない。かつては空爆を受けたのではないかと思われるくらい、薄汚れた部屋の中で生活していた。死守していたのは、水回りだけはきれいに保っていたということだけだ。というのも、腐敗臭がただようと、ただでさえ汚い部屋で生活するのがおっくうなのに、土葬されていたかつての墓守のような気分を味わいたくなかった。そんな部屋での生活は2年と持たなかった。彼女ができたからだ。僕は気持ちに余裕がなかった。気持ちの余裕のなさが部屋を片付けようというやる気につながらなかったのだと理解した。

 

そして僕に子供ができた。かつての彼女がいまの嫁さんなので、部屋はできるだけきれいに保つようにしていた。しかしながら、部屋はかつての勢いを取り戻すかのように汚れていく。僕に気持ちの余裕はある程度生まれたのだが、どうにも時間がなくなってしまった。ブログを書く時間はあるのに、部屋を片付ける時間はないのかと問うだろう。しかし、僕の心のゆとりや前向きな気持ちを生み出すツールとしてのブログは部屋を片付けなくてはならないということよりも、若干優先度が高い。これでもできるだけこらないようにして、時間をかけすぎないようにしている。それでも頭の中や、世の中に貢献したいという気持ちを抑えることは難しい。

 

片付けながらふと気づいたことがある。僕は時間を大量に浪費しているのだ。当たり前を知るのはいいことだ。かつて数学ガールの中で言われていたことだが、実際目の当たりにするとハッとすることがある。これから当たり前の話をする。部屋を汚すことは、将来の自分の時間を浪費する行為だ。1日の時間が24時間で、これだけは人類みな平等に分配されている。その中の24時間をどのように使うかは本人次第なのだが、部屋を片付けるという行為は、僕に負債を精算させているのである。かつてそれが嫌で部屋をなかなか片付けられずにいたが、そもそもだ。そもそも部屋を汚すという行為そのものが、僕に時間の負債を負わせていることに今になって気づいた。

 

部屋を片付けるという行為そのものは負債を清算しているわけだが、借入時というのは部屋を汚している行為そのものである。この部屋を汚すという時点で未来のうちの膨大な時間を借り入れているわけである。これが微々たるものだとたいしたことはないが、ひとたび膨れ上がってしまうと、手が付けられなくなる。だから僕は言う。使ったら使った場所に戻して、整理整頓しなさいと。これは嫁さんが口を酸っぱくして僕にいつも言っている言葉で、彼女はそれをずっと行っているから、どこに何があるのかまで当たり前のようにわかっている。すごいことだ。

 

未来の時間を浪費しないためにも、いまの自分が部屋を汚すことをしないように注意していきたいただそれだけのことが分かったが、僕にとっては重大な出来事だった。やっべ。

 

まった今度をおっ楽しみに~。ばぁい。