Oneteamとは何か
最近下火になっているが、Oneteamとはどういう意味なのかを語りたい。自分の解釈だし、過激な表現になってしまうことを先に断っておく。
ラグビーは命懸けのスポーツだ。これは比喩ではなく、文字通りの意味だ。グラウンドに立つ前に、今日命を落とすかも知れないこと、そして相手の生命を脅かしてしまうかも知れない覚悟を持ってその場に立っている。国歌が流れた際に号泣している選手達をみたことがあるだろうか。今この場にいる誇り、恐怖、歓喜がごちゃ混ぜになり、混乱し、興奮して涙を流している。獣のように咆哮をあげながら、ただ勝利のためにそこにいる。
勝利とは何か?誰のための勝利か?
ラグビーはチーム競技だ。なかなか理解できないかも知れないが、One for all, All for oneこれもよくラグビーを簡潔に表している。あなたの勝利はわたしのもの、わたしの命はあなたのために。ラグビーは命懸けのスポーツだ。スクラムを組む際に最前列のプロップには単純計算で1.6トン近くの力が加わる。首の骨が軋む音、腰の骨がミシミシと音を立てる。相手の呻き声が聞こえる。スクラムが安定するとバックスに安心感を与える。スクラムが負けるとチームが崩壊する。セットプレーは大切な心の支えだ。そして命懸けでもある。
チームが勝つことに意味がある。個人技でトライすることに意味はない。役割があるだけだ。ボールをまわし、プレーを重ね、チームで得点をとることがラグビーの美徳とされる。個人技は再現性がないし、必ずその選手がいるわけではないからだ。サインプレーやボールを落とさずにプレーを重ね得点をとることがもっとも良い。人の入れ替えが起きてもクオリティを保てるからだ。もちろん人間なんで、トライを取りたい欲望はある。モール、スクラムでトライを取れることはただただ嬉しい。
One Teamとは、チームのために身体をはれるか、命をかけられるか、仲間の成果を自分のことのように喜べるか、チームで成果をあげることに価値を見出せるかという意味だ。チーム一丸となってとなるが、自分の欲を抑え、純粋にチームの勝利のために死力を尽くせるかという意味だ。うまく伝わるものではないが、ラグビーをやってないとなかなか理解できないだろう。ただ自分の成果を上げて、自分のリーダーシップのおかげでチームが評価されることをOneTeamだと思っているなら勘違い甚だしい。それはOnemanTeamであってOneTeamではない。あなたの個人技だ。再現性もないし、意味もない。あなたがいなくなれば、チームは崩壊する。自分ではなく仲間、チームが成果を上げることに全力を尽くせという意味だ。そのためには自分が評価されなくても、犠牲になってもかまわないくらいに思わないといけない。そう考えている。
ブログやりすぎておかしくなった話
1年ぶりくらいの復帰戦。この間色々ありました。僕の話をしようと思う。ブログで1花咲そうと花咲かじいさんになったのが2年前。虎舞竜よろしく頭がおかしくなったのが1年前くらい。あの道を通った夜の灰になった桜の木の話をしようと思う。
結論から言うとブログに趣味以上の大志を抱いてしまったわけだねきっと。そもそものブログの目的はサーバーってなんだっけとかを理解するついでだった気がする。すごい目的のすり替わり。なぜそんなことが起きたのかというと、会社、家庭での結局承認欲求が満たされていなかったからだと考えている。ちょうどコロナ禍が重なったので、コロナのせいでコミュニケーション不足に陥り、周りから孤立したはけ口をブログに求めてしまったことにしておこう。はっきりとした理由はいまもよく飲み込めていない。
もともと文章を書くのは好きだった。これは間違いない。ただ1日1文章というのは僕の会社の働き方からして不可能に近かった。それに金を稼ぐこと、そしてアクセス数を稼ぐことに熱中してしまった。まぁ結果として途中で稼ぐことに意味をみいだせなくなったので広告自体をやめてしまった。そもそも簡単に儲かってたら苦労しないわな。儲かりません。目的や達成したいことがすり替わってしまったことがそもそもの誤りであったと思う。アクセス数を見せたり、リンクを見せたりというのは確かに当たり前な機能なのかもしれないが、一喜一憂するようなものでもないね。誰かに見てもらおうが、誰からも見てもらえなくとも専念してなければ死ぬこともないわけです。
この文章は誰かを否定したり、他の人のやり方を否定するものじゃないことを断っておく。人には人なりのやり方があるし、目的は人それぞれだ。僕にはそのやり方が合わなかったただそれだけなのだと思う。
では目的のすり替わりが発生した理由はというと、ブログの書籍に一部問題があるように考えている。これは会社であるというのは稼ぐ必要があることなので、仕方のないことなのかもしれないが、正直ビジネステイストのものが非常に多い。稼ぐ手法に特化し、ブログとはなんのためにあったのか、なんのためのコンテンツだったのかが形骸化してしまっているように思う。必要なコンテンツに巡り合わなくなってきているのは、こうしたビジネスに特化させた文章がただただ量産されていることにほかならないのだろう。稼げることを全面に打ち出し、稼ぎ方を伝授する。素人はその稼ぎ方に先導されるようにハーメルンの笛吹き男についていき、川に身を投げるわけです。その結果何が待ち構えているのかは考えもせずに。正直その口車に乗ったのは自分なので、自分が悪いわけだけれども、なんだかなきちんとした知識をまんべんなく拾える本ってない感じがするんだよね。最近。
ではどうすればいいか。僕なりの結論だけれども、無理をしない。無理に稼ごうとしない。ただひたすら文章を書くことを楽しみ、コミュニケーションを取ることを楽しみたい。それだけだね。趣味なのだから、金をかけずに手間暇かけてまた時々文章を世界に放り投げようと思う。
猫の絵まとめ
何やら無性に猫の絵が描きたくなった。彼らの世間に縛られない自由さ、奔放さが眩しく映った。僕の世の中に縛られたしがらみを彼らは容易く、奔放に無視する。そこには何もなく、ただ縛っているのは自分自身だという自嘲。ただ何もせずに眺めていた僕を意に返さず己を突き進み行動に移す生き様。愛らしさの中にまるでこちらを見透かしたかのような彼らを描けばそれらが手に入るのではないか。何か掴めるのではないかと一心不乱に描いている。
獲物を捕まえる仕草。猫が獲物を捕まえる時、尻尾をピンとたて、身体を縮める。身体のバネを生かして飛び掛からんとしている様子。
猫の歩く様。必ず4足が別々に地面に設置するように歩いているように見える。
太々しい顔。何か悟りを開いたかのようにこちらをじっと見つめている。あなたが猫を見つめる時、また猫もあなたを見つめているのだ。
あざとかわいい。彼らは自分がかわいいことを理解している。かわいい自分を甘やかせと言ってきている。
太々しい猫。だいたいは写真から起こしているので、いわゆるトレースに近い。しかし実際にこんな態度を猫はとっているのだろうか。事実は絵よりも奇なり。
あざとかわいい。なかなか毛並みの表現に苦労する。もう少し練習が必要だね。
コメポン棒
好きな駄菓子は決まっている。コメポン棒だ。おこしじゃない。コメポン棒だ。微妙に違う。コメポン棒はポン菓子を集めて水飴か何かで棒状にしたやつで、僕はこれが異様に好き。ただ、このコメポン棒なる菓子は全然メジャーじゃないらしい。
いわゆるうまい棒みたいな誰しもが知っている菓子じゃない。うまい棒は小麦の値段が上がったり、物価が上がると必ずニュースになるくらいメジャーな菓子だ。なんなら、小麦価格によって伸びたり縮んだりするとか豆知識があったりする。駄菓子の王様。駄菓子オブ駄菓子だ。
そして新規精鋭ブラックサンダー。これも異様に種類があって、どれもこれも悔しいけど美味い。安くて激ウマ。駄菓子界のプリンスだろう。王位継承権第一位とかに違いない。
ポン菓子は有名だ。バクダンと言われる巨大なバズーカのような機械で加熱され、蓋が開いて急激に膨張する際にふわふわサクサクになる。この時の音がポンっと言うからポン菓子なんだ。しかし、パッケージはなぜかにんじんと書かれているという異様さと美味さと派手さでもって子供達の心を鷲掴みにしていることだろう。原料も米だから、日本においていえば、尽きることもなかろう。
しかし、コメポン棒はここにひと手間かけている。おこしのように平らにしてからカットしているのではない。わざわざ固めるだけではなくて、棒状にしているのだ。この棒状がとっても美味いんだが、どうもスーパーの人達には伝わらないらしい。ふ菓子、かりんとうは異様な数、種類が売ってるにも関わらず、コメポン棒は全く置いてない。いやマジなんで?かりんとうとか、ふ菓子とかわかるけどさ、あんなにいらなくね?いやいるから置いてるんだろうけど、コメポン棒無くすくらいなら、かりんとう一種類くらいなくなったってだれもわからんって。あんな揚げてて、黒糖まみれのやついっぱい食べるか?ってくらい置いてない。なんならおこしはいっぱいあったりする。駄菓子界の村人的存在だ。え?いましたっけ?くらいの位置付けに違いない。
だけどさ〜、あの棒状がいいわけ。持ちやすいし、食べ応えあって、香ばしくって、優しい甘さ。庶民オブ庶民の味なわけ。なんなら白いタンクトップのシャツ着ながら、短パン履いて食べたい。山下清のような出たちで貪りたいわけ。わかるかな〜。まったくわからないだろ〜な〜。
どうしても食べたいのにない場合はぽりこーんで我慢します。ぽりこーんも好き。ぽりこーん置いてないとこないし。でもなー。ぽりこーん量が多いんだよなぁ。味濃いから、残しちゃうし、喉乾くし、残ったらしっけちゃうからな〜。ぽりぽりさくさくがいんだけど、なんかすかすかになっちゃうからな〜。コメポン棒がいいな。
Egoist エウテルペ
これは最高に迷うお題だ。アニソンはいまやアニメの顔の一部で、オタクやろうとしては通ぶりたいわけだ。つまり誰かに知られている歌手を書くとなんか負けた気分になる。
いやちょっと待て。これを機に色々知っていただくという選択肢もあるぞと頭を悩ませる。最強ときたか。最強の定義によるなと考えたあなた。あなたはオタクです。だがわかる。何が自分にとって最強たり得るかである。つまりお題である最強とは自分なりに考えるその定義も述べよということだ。欲しがりさんめ。
さてさてあれこれ悩んだ挙句、僕はこの曲にしようと思う。それはギルティクラウンの曲で、EGOISTが歌っているエウテルペという曲だ。全然しらんだろう?界隈では有名なはずだ。正直色々ある。色々あるんだが、今聞いてもやっぱりいいなって曲はだいたいegoistなんだよなー。だからその中でもしんみりしたこの曲を挙げたい。うーん。まような。書いたけど、マクロスF、ef、エンジェルビート、鋼鉄のカバネリとか、裏をかいてバットアップルとか色々あるよね。色々。だがなー。この曲は外せまい。
たいして詳しくないんだが、Egoistは顔出しをしていない歌手で、ギルティクラウンの中の登場人物楪いのりに扮しているチェリーという歌手だ。アニメ好きなら一度は聞いたことがあると思うし、ticktok なんかでも咲かせや咲かせがよく流れてくる。
かなり昔のアニメなんだが、今もずっと生き続けている。最強を何で決めるかだけど、歌唱力もさることながら、今となってはVtuberなどとして当たり前になっているが、当時前世の人がデジタルな身体を演じるという行為自体がない中で、歌手として生き残るだけではなく、その魅力も色褪せないという意味で、最強と言えるのではないかということだ。
あなたの背後にあるものは
これには苦い思い出があった。僕は比較的道に迷わないタイプで、昔は携帯なんてなかったから、自分の感覚や記憶、地図なんかに頼っていたんだろう。僕はそんなことせずとも道に迷わない方法がある。
それは道路標識にしたがって行動することだ。道路標識は当然車用なんだが、道を歩いていたって、自転車に乗っていたって使える便利なものなのである。駅までの方向や距離がなんとなくわかるようになっている。
さらに道を歩くものには、駅付近では地図があるし、方向を示した詳細の看板があったりする。だから、自分が方向音痴かはおいといて、道に迷うことはあまりないはずなのだ。あとは周囲を見渡して、目印となりそうな建物を目指すとかすると、結構迷わない。
ただここに書くってことは、非常に道に迷ったことがあるということだ。人生の道は迷い続けているが、そんなトンチを聞きたいわけではないだろう。まさに道に迷った話を書きたい。
具体的に書こう。その方が理解しやすいだろうし、話に入りやすい。横浜には蒔田という駅がある。三殿台遺跡という有名な遺跡がある場所だ。大山ネズの会という折り鶴のバッチで有名な信仰宗教がある場所でもある。
僕は中学、高校とこの駅にある塾に通っていた。身バレ防止のため塾名はやめておこう。その塾が駅のそばにあるんだが、ある日のこと塾に直通できる道が工事のため通行止めになった。仕方がないので、反対側に位置する駅から外に出ようと考えた。
蒔田駅は横浜市営地下鉄にある駅で、地下から地上に上がらないと周囲を確認できない。反対側といえど、物理的に対角にあるとは限らないのであった。
僕は反対側に出たと地上に出た時に考えた訳である。つまり駅に下る道のちょうど反対側がいつも降りている駅であるずだと。そこで道路を背後にして、駅を真正面に見据え、その駅の背後に回ろうと考えたわけだ。いけどもいけども背後に駅なんて見えない。刻一刻と塾の時間は迫っている。なぜたどりつかないのか、すでに反対側に回る距離など通り過ぎているはずで、なのになぜいつまで経っても駅に辿り着けないのだろうと。
その瞬間はたと気づくのである。いやまてよ。真正面に駅を見据えたときに背後にあった道の先には何があるのかと。
あなたは誰ですか?
お題「今まで食べた外国の料理で一番衝撃的、もしくは美味しかったと思うものを教えてください」
僕は東南アジアがすきで、これまでシンガポール、フィリピン、マレーシアと旅行している。
東南アジアは独特に緩くて、非常に刺激的だ。スーパーマーケットの前やホテルの前には銃火器を持った兵隊さんが立っている。タバコを吸っていた際に声をかけられて、灰皿ここにあるよって言われた時は英語だったから、一瞬悪いことをして、殺されるのかとびびった。そのくらい刺激的な国々だ。
飛行機から降り立つと、ムワッとむせかえるような暑さと米を蒸したような独特な香りが漂っている。至る所にマンゴーが実っており、パームやしがそこら辺に生えている。ドリアンだけは別格で、盗むと捕まる。マンゴーはおそらく大丈夫。
僕は特にマレーシアが好きだ。マレーシアはインド、中国、マレーシアのそれぞれの食文化が混ざり合い、飯がとにかくうまい。行きの飛行機をマレー航空にすると、めちゃウマなメシがずっと提供される。
マレーシアはとにかく食べ過ぎに注意しなければいけない国だ。朝から晩まで飯にあふれ、止まらなくなる。バクテーと呼ばれる食べ物があって、これが非常に美味い。形容するのが難しいが、肉骨茶と書く。とろとろに煮込まれた骨付き肉のスープに野菜が入っている。ナンプラーなどで味がついているのだろうが、嫌な臭みがない。向こうの流儀では青唐辛子とニンニクをたっぷり入れて食べるものらしい。暑い中、汗をたっぷりかきながら平らげた。
ある日のことマーケットで食事をとろうとなった。マーケットは場所によっては治安がよろしくないんだが、地元の人たちに混ざって食事をすることに憧れていた。シンハーを片手にぶらぶらしながら、店を決める。
店は中国系なのか、文字が読めない。とにかくわかりそうな文字を頼りに適当に注文する。怪しい料理がいくつか目に留まる。特に異彩を放っていたのが、V字の肉が入っている料理だ。うん嫌な予感はする。でもまぁ、日本だって昔は食べていたんだし、意識しなければ大丈夫なはず。パクパク食べる。辛いが、鶏肉のような食感で非常にうまい。他の料理もうまい。
あまり意識せずに食べ勧めていると、コリっという食感に出会う。例のV字の肉の料理だ。口の中から出て来たのは生気のなくなった真っ白な彼の目玉だった。ミドリのやつはうまいということはわかったが、トラウマになった。